ワタシとダレカの脳内会議

〜ワタシのモヤモヤはAIジーニーちゃんがピカッと解決〜

心の声は未来のワタシ? 〜細い道で出会った「怒鳴る人」〜

日曜日の昼下がり。

コーヒーを片手に、海を見に行く途中だった。

空の青さと海のきらめきが私を待っている、そんな気がしていた。

 


でも、その期待を裏切るような出来事があった。

 


怒鳴り声の衝撃

 


海沿いの細い道。

対向車とすれ違うのもギリギリの道幅で、前方から黒い車が近づいてきた。

慎重にハンドルを切り、なんとかやり過ごそうとしたその瞬間。

 


「ヘタクソ!」

 


怒鳴り声が突然窓越しに飛び込んできた。

 


体がビクリと反応し、息が止まる。

ちらっと見えた男性の顔は険しく、怒りで歪んでいた。

 


「なんであそこまで怒鳴る必要があるの?」

 


胸の中に引っかかる疑問を抱えたまま、その場を離れたけれど、モヤモヤは消えない。

 


車を停めて気持ちを落ち着けようとしても、あの場面が頭の中をぐるぐるしていた。

「どうしてこんな出来事が起きたんだろう?」

 


ワタシの世界はワタシが創造している

 


私は「ワタシの世界はワタシが創造している」という考え方を信じている。

 


この考え方は、一見スピリチュアルなようでいて、実はとてもシンプル。

たとえば同じ景色を見ても、「綺麗だな」と思う人がいれば、「特に何も感じない」と思う人もいる。

それは、目の前の景色そのものが変わるわけではなく、それをどう「意味づけるか」が人それぞれだからだ。

 


だから、嬉しい出来事が起きた時は「私がその状況を引き寄せた」と思える反面、嫌な出来事が起きた時も「私のどこかがそれを投影しているのかも」と考える。

これは自分を責めるためじゃなく、自分を見つめ直すきっかけになる感覚だ。

 


でも、じゃあ、あの怒鳴る男性は?

どうして私がそんな場面を「創造」する必要があったのだろう?

 


心の声と駐車場

 


怒鳴られる前、私は混雑した駐車場に入っていた。

 


「ここは混んでるなあ」と諦めかけた時、心の中に小さな声が聞こえた。

「端っこの方なら空いてるかも」

 


でも、その声を無視してしまった。

「そんな都合よく空いているわけがない」と、自分で勝手に決めつけたからだ。

 


そして駐車場を出た直後、怒鳴られる出来事が起きた。

 


今になって思えば、あの声は私を助けようとしていたのかもしれない。

「そっちの道はやめておきなよ」って。

 


未来の私からのメッセージ

 


もしかしたら、あの声は未来の私が送ってくれたメッセージだったのかもしれない。

未来の私が、「これを避けて」と警告してくれていたのだとしたら?

 


過去にも同じような心の声を感じた瞬間があったことを思い出す。

「ここでやめておこう」

「今やった方がいい気がする」

 


あの声を信じなかった結果、後悔したこともたくさんあった。

そして、その後悔がまた、私を育ててくれた。

 


今、この瞬間を信じる

 


未来の私が今の私を助けてくれるなら、過去の私もまた、今の私に何かを託してくれている。

「過去は変えられない」と言われるけれど、私はそうは思わない。

過去があるから今があって、今の選択次第で過去の出来事の意味だって変わる。

 


たとえば今回の出来事も、怒鳴られた瞬間だけを切り取れば嫌な思い出だ。

でも未来の私が「この出来事で気づけた」と振り返れば、その意味は変わる。

 


未来の私も、過去の私も、今の私を信じてくれているなら、私もその声をもっと大切にしたいと思う。

心の中で「これだ」と感じたことに、もう少しだけ素直になりたい。

 


心の声を頼りに歩いていけば、そこにはきっと、未来の私の笑顔が待っている。

そう思うだけで、明日がちょっと楽しみになる。